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大好きなおばあちゃん。

大好きなおばあちゃん。

2/14。
世間はバレンタインデー。
私は音楽関係ないお仕事をいくつか済ませる予定でした。

なのにちょっとばかり予定の進み具合が遅く、既に出発しているはずだった時間に家でお昼をもぐもぐ。
ツイッターを眺めながら。

すると親から電話。

施設に入所しているおばあちゃんが救急搬送されたとのこと。
親は泣きながら「急いで病院に行って!恵里だけでも先に行って!」と。

急いで向かいました。
苦しいながらも返事のできるおばあちゃんの姿を頭に描きながら。

病院に着き、おばあちゃんに会う前に、救急で担当してくださったお医者さんからお話がありました。
救急車の中で急激に酸素量低下、心配停止、瞳孔も開き、病院到着後に処置をして脈拍は戻ったものの自発呼吸は戻っていません。との事。

そして面会。
もう動かないおばあちゃんがいました。
酸素は手動で送り続けてくださっていました。
「もう意識は無いんですか?」との問いに「そうですね…。無いと思います。」との答え。
親が到着するまでのもう少しの間、そのまま酸素は送り続けてください。とお願いしました。

親が到着し、元々親もおばあちゃん本人も延命措置は希望していなかったので、酸素を送るのももうやめてもらいました。
自然と心臓が止まるのをただ待ち、お昼過ぎにおばあちゃんは亡くなりました。

86歳。
とても上品なおばあちゃんでした。

シングルマザーで頑張り屋。
いつも私たち孫や私の娘たちひ孫を気にしてくれ、優しくて、大好きなおばあちゃんでした。

お通夜は翌日。葬儀は翌々日。
亡くなってから2日と数時間の間、私たちはおばあちゃんと一緒に居ました。(私は娘の事もあるので時々帰っていましたが。)

やっぱり、棺にお花を入れる時が一番悲しかった。

火葬後は、もうこの世に身体が無いことはわかっていつつも亡くなったような気がしない。今もそんな日々を過ごしています。

講師の仕事のおかげで常にレッスンについての考え事をしているため、ずっとおばあちゃんのことばかりを考えていることは無いのですが、ふとした時に思い出しウルッときます。

でも思い出すのは、元気だった頃のおばあちゃんです。
持病の間質性肺炎が悪化してからの苦しそうなおばあちゃんも、亡くなった時のおばあちゃんも思い出せるけど、ふと思い出すのは笑っているおばあちゃんです。

おばあちゃんの死を通して思ったのは、生きるって、そういうことなんだな。ってコト。

こうやって、後世に何かを残してゆく。
それは子孫でも技でも知識でも気付きでも何でも良くて。
そしてそれは残そうとして残せるものではないのね。
その人の生き様が全て。
胸を張って自分らしく生きていられたら、必ず何かが後世に残ってゆくんだな、って思いました。

おばあちゃんは、私には子孫と気付きと名前を残してくれました。
娘たちには子孫と気付きを残してくれました。

娘たちも、今回『死』というものを目の当たりにして、いろいろと思うことがあったみたいです。
その気付きをもって生きていってもらえたらなぁなんて思いますが、まだまだそこまでは難しいかな。

身体は与り物。ってよく言いますよね。
与り物を天に返したら、物体としてはこの世に無くなるけど、その人の心は、残った人たちの心の中で生き続けている。
そんなふうに感じています。

本当に大好きだったおばあちゃん。
悲しいというより「闘病も本当に頑張って、お疲れ様でした。」という思いです。あと「ありがとう」。

おばあちゃんは、救急搬送される直前まで施設のスタッフさんと話ができていたようです。
救急車に乗った途端、酸素量が一気に低下し、意識不明になったようです。
だから、呼吸が止まる苦しさを感じなかったと思います。とのことでした。

実際に苦しかったかどうかは知るすべがありませんが、おばあちゃんはこの後もう自分がどうなるかをわかっていたかもしれないですね。
救急車に乗るが乗るまで頑張った。本当に頑張り屋のおばあちゃんでした。

朝やお昼に亡くなる方は、いい人が多い。
そう施設の方が教えてくれました。

あばあちゃんは最後の最後までいろんなことを教えてくれました。
「ありがとう」しか無いです。

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