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涙を笑顔に変えるシンガーソングライター 岩本恵里のオフィシャルウェブサイトです。

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お薬。

薬なんて飲まないほうがいい。
それは常々そう思います。

でも『普通』に生きるために飲まなくてはならない薬があるのも事実。
血圧の薬だとか糖尿病の薬だとか、そういったものは基本的に一生飲み続けなくてはならない。

そして私の飲んでいる双極性障害の薬もそういう薬。
抗うつ薬とは違うの。
双極性障害は一生付き合わなくてはならない病気。
気の持ちようとかじゃないんだよ。精神障害・精神疾患はそう言われがちだけど、本当に違う。
そして薬のおかげでコントロールできていることを、ここ最近改めて痛感しました。

3/6に、月1で通っているメンタルクリニックに薬をもらいにいく予定が行けなくなってしまい、スケジュール的に翌週の13日にしか行けなくなってしまい、薬が無い状態で1週間過ごしました。

最初の内はそんなに問題ないと思いながら過ごしていました。
もう近頃ずっと調子も良かったので、ひょっとしたら薬がなくても生活できるのかもしれないとも思いました。

でもだんだん調子が良くなくなってきました。
後で知ったのですが、私の飲んでいる薬の半減期は約36時間。1日半です。
そこから更に血中濃度は下がっていきます。
明らかにそれと並行して調子も下がっていきました。

思考がうまく切り替えられない。
あんなにポジティブに考えられていたのに、それがうまくできない。
そして不安定な浮遊感。
小さなトラブルが自力で回避できない。
眠気も増えていたみたいです。

そして薬を切らしてから1週間後に再開。
この薬は副作用が出ないかしっかり確認しながら徐々にしか増やせない薬。
今まで飲んでいたのは200mg。それが初期投与量の25mgからの再スタート。
それでもやはり少しずつ効いてくるのがわかりました。

再開して1週間経ち、最低量でもかなり調子は戻りました。
でもまだ些細なことでイラッとして、そのイライラがなかなか消えない。
なのでもう少しだけ増量してもらう予定です。

薬は大事。
軽く考えちゃいけないです。
もう切らすようなことは絶対にしません!

ヘルプマーク。

昨日作詞クラブのついでに、都営地下鉄の駅に行き、コチラを頂いてまいりました。

ヘルプマークってやつです。
内部障害等、外見ではわからない障害を持っている人が身につけてそれを周囲へ知らせるためのもの。
まだ全国で統一されておらず、私の住む愛知ではこの形のものがまだ配布されていません。
なので東京でもらってきました。

私が使うのではありません。
私の双極性障害は良い状態で寛解していますので♪

てんかん持ちの娘に持たせたくて。
急にどうなるかわからないですからね。
レッスンの生徒さんがカバンに付けていて、娘にも持たせようと思ったわけです。

コレ、気にしてあげてくださいね。
見た目若くても元気そうでも、見えない事情があって優先席に座っていることもあります。
よろしくお願いします!!

2/25 愛知県春日井市『岳』ティータイムライブ vol.6でした♪

毎年恒例のティータイムライブ、今年も満員御礼でございました。本当に有り難いことです!!

 

身内の不幸で突然来られなくなってしまった方がお花を届けてくださっていました。
桃の花にチューリップ♪忙しいはずの中届けてくださって、ホントに嬉しかったです!!

このライブを持ちまして、当分ライブはお休みです。
なんにしても、1月頭より3ヶ月毎週通っている最中の作詞クラブ。
こちらが本当に大変。
毎回凹んでおりますが、絶対負けんもんね!!

2/16 ミーティング。2/18 発表会。でしたヨ。

2/16。
おばあちゃんの葬儀~初七日法要と会食を済ませ、他の人たちより一足お先に帰宅し、礼服から着替え、即大須へと向かいました。

この日に入っていたレッスンには間に合わなかったため、生徒さんには振替対応をして頂く事になり申し訳なかったのですが、その後のスケジュールは予定通り参加できました。

18日に開催される大須の教室の発表会。
そこでの講師演奏の音合わせ。

14日~16日で仕上げようと予定していたのですが、葬儀等のため全くできなくなり、中途半端な仕上がりでのスタジオ入り。
更には、さすがにおばあちゃんが亡くなった事に少々動揺しており、中途半端な仕上がりが更に崩れるという失態。

おばあちゃんをexcuseにしたくないのにこんな状態。

他の先生方がとても気遣ってくださり、当初の予定とは違うスタイルで18日を迎えることにしました。

その後場所を移動し、先月の続きのミーティング。
話がだいぶ固まり、要項もできてきました。

とのことで、主宰のブログ記事をここでシェア。

《あと少しで開催日が決定します!》

一緒に盛り上げてくださる出演者さんを募集しています!
ライブ枠、発表会枠、そんな出演方法の選べる音楽祭的なイベント♪
気になる方はお問い合わせ頂ければ詳細お伝えさせていただきます(^^)
主宰のブログも随時更新されていきますのでチェックして頂くのも宜しいかと思います♪

 
そして迎えた2/18発表会。

前日17日は作詞クラブのため1日東京往復で費やしました。
こんな言い訳、言っていいわけ!?

とかなんとか言っても言わなくてもやってくる本番。
当日のレッスン前に声出しはしたものの仕上げまでには程遠く(T-T)

でも!
この日の主役は教室に通われている生徒の皆さま!!

私はこの教室では12月から実稼動させて頂いているので、発表会には初参加!

皆さん、楽しく発表されていて、あったかい発表会でした(^^)

私自身、これからまた講師としてもプレイヤー・シンガーとしても向上していこうと心に誓いました!!

大好きなおばあちゃん。

2/14。
世間はバレンタインデー。
私は音楽関係ないお仕事をいくつか済ませる予定でした。

なのにちょっとばかり予定の進み具合が遅く、既に出発しているはずだった時間に家でお昼をもぐもぐ。
ツイッターを眺めながら。

すると親から電話。

施設に入所しているおばあちゃんが救急搬送されたとのこと。
親は泣きながら「急いで病院に行って!恵里だけでも先に行って!」と。

急いで向かいました。
苦しいながらも返事のできるおばあちゃんの姿を頭に描きながら。

病院に着き、おばあちゃんに会う前に、救急で担当してくださったお医者さんからお話がありました。
救急車の中で急激に酸素量低下、心配停止、瞳孔も開き、病院到着後に処置をして脈拍は戻ったものの自発呼吸は戻っていません。との事。

そして面会。
もう動かないおばあちゃんがいました。
酸素は手動で送り続けてくださっていました。
「もう意識は無いんですか?」との問いに「そうですね…。無いと思います。」との答え。
親が到着するまでのもう少しの間、そのまま酸素は送り続けてください。とお願いしました。

親が到着し、元々親もおばあちゃん本人も延命措置は希望していなかったので、酸素を送るのももうやめてもらいました。
自然と心臓が止まるのをただ待ち、お昼過ぎにおばあちゃんは亡くなりました。

86歳。
とても上品なおばあちゃんでした。

シングルマザーで頑張り屋。
いつも私たち孫や私の娘たちひ孫を気にしてくれ、優しくて、大好きなおばあちゃんでした。

お通夜は翌日。葬儀は翌々日。
亡くなってから2日と数時間の間、私たちはおばあちゃんと一緒に居ました。(私は娘の事もあるので時々帰っていましたが。)

やっぱり、棺にお花を入れる時が一番悲しかった。

火葬後は、もうこの世に身体が無いことはわかっていつつも亡くなったような気がしない。今もそんな日々を過ごしています。

講師の仕事のおかげで常にレッスンについての考え事をしているため、ずっとおばあちゃんのことばかりを考えていることは無いのですが、ふとした時に思い出しウルッときます。

でも思い出すのは、元気だった頃のおばあちゃんです。
持病の間質性肺炎が悪化してからの苦しそうなおばあちゃんも、亡くなった時のおばあちゃんも思い出せるけど、ふと思い出すのは笑っているおばあちゃんです。

おばあちゃんの死を通して思ったのは、生きるって、そういうことなんだな。ってコト。

こうやって、後世に何かを残してゆく。
それは子孫でも技でも知識でも気付きでも何でも良くて。
そしてそれは残そうとして残せるものではないのね。
その人の生き様が全て。
胸を張って自分らしく生きていられたら、必ず何かが後世に残ってゆくんだな、って思いました。

おばあちゃんは、私には子孫と気付きと名前を残してくれました。
娘たちには子孫と気付きを残してくれました。

娘たちも、今回『死』というものを目の当たりにして、いろいろと思うことがあったみたいです。
その気付きをもって生きていってもらえたらなぁなんて思いますが、まだまだそこまでは難しいかな。

身体は与り物。ってよく言いますよね。
与り物を天に返したら、物体としてはこの世に無くなるけど、その人の心は、残った人たちの心の中で生き続けている。
そんなふうに感じています。

本当に大好きだったおばあちゃん。
悲しいというより「闘病も本当に頑張って、お疲れ様でした。」という思いです。あと「ありがとう」。

おばあちゃんは、救急搬送される直前まで施設のスタッフさんと話ができていたようです。
救急車に乗った途端、酸素量が一気に低下し、意識不明になったようです。
だから、呼吸が止まる苦しさを感じなかったと思います。とのことでした。

実際に苦しかったかどうかは知るすべがありませんが、おばあちゃんはこの後もう自分がどうなるかをわかっていたかもしれないですね。
救急車に乗るが乗るまで頑張った。本当に頑張り屋のおばあちゃんでした。

朝やお昼に亡くなる方は、いい人が多い。
そう施設の方が教えてくれました。

あばあちゃんは最後の最後までいろんなことを教えてくれました。
「ありがとう」しか無いです。